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櫻井神社

櫻井神社は自然に囲まれたところにあります。

櫻井と聞いてピンっと来られた方もおられるかもしれませんね。

嵐の櫻井くんと同じ名前なので、嵐ファンにも人気で「ライブのチケット」の当選祈願で

来られるファンも多いとか・・

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勢与止妃大明神(櫻井神社)の顕現について

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当社創建の基は、慶長十五年(一六一。)庚戌六月朔より二日の暁にかけて相菌の里、方十町程の間に大雷雨起り突如電光一閃、岩戸神窟の口が開けて御神霊が顕現された。
時の岩松城主浦新左工門の妻に神かからせ給い、以来さまざまな奇瑞が現れ霊験まことにあらたかで、その名声は近隣に普く、来り拝する者あとを断たず、遂に筑前国主黒
田忠之公の聞き及ばるるところとなり、前後二回に亘り家臣を遣わして問われるに、その答寸分違わずみな御験があったので、ますます尊崇の念を深められるに至った。

与止妃宮(櫻井神社)の創建について

黒田忠之公は大いに神威を感じて社殿造営を発願せられ、
寛永六年斧初め、寛永九年(一六三二) には桧皮葺き三間
社流れ造の極彩色豊かで絢爛豪華な龍宮城を想わせる御本
殿が完成した。その間、山を開き池を掘り谷を埋め門前の
まで整えられた。京都の吉田家より鈴鹿兵部少輔
請して神事が行われ、社号を与止妃大明神とあが
た。その結構は社域三萬三千平方米、神殿、拝殿
じめ楼門、廻廊、石鳥居、神池、神橋など備わり辺地
稀にみる壮麗を極めたものである。
御本殿は、平成三年からの『平成御大典記念事業』により、
平成七年、創建時の姿に見事に復元修復された。

霧櫻井大神宮造営について

この地に天照大御神を勧請すべき御神託があったので、国主忠之公は岩戸の西南の地、光寿山の麓に東面して、神明造り茅葺の三殿を造営し、伊勢神宮の祠官橋本氏をして、伊
両宮の御分神を奉祀させ寛永二年(一六二五)九月十一日鎮座いただいた。內宮外宮を一宇に合祀されたので、両大神宮とも称え、本殿の千木は向って右が水平切りで、內宮(天照
大御神)を現し、向かって左が垂直切りで外宮(豊受大御神)を現わした独特の建築様式である。
なほ創建以来伊勢神宮の古式に習い宮地を二ヶ所に定め。
二十年毎に交互に改築せられてきたが、慶応二年(一八。六六)式年遷宮十三回目にして止まり、現社殿は百四十余年を経たお社である。重要文化財指定希望中。因みに伊勢神宮
式年遷宮に際して第六十回の折には風日祈宮・第六十一回の折には佐美長神社、第六十二回の折には、外宮板垣北御門の御鳥居が頒賜移建された。

線御神威のかずかず

中御門帝の正徳六年(一七一六) 四月七日天皇は神威を嘉
せられて神位正一位を賜り、又明和三年(一七六六)四月に
は禁裡御所より御紋付緋灯籠の御下賜があるなど朝廷の街覚
もめでたい極みであった。
黒田家累代の藩主もその神恩に報べく、承応二年(一六
五三)には神領二百石を寄進し、多くの神職を置いて祭祀を
掌らせ、潮斎浜大鳥居、神馬、灯籠のほか山林、宝物など数々
の寄進あり、近くは十五代黒田長礼公より印朱金、黒田家家
紋入り三分金など数点の家宝の奉納があった。
また黒田忠之公は大宮司浦安成を京に遣わして吉田神道を
学ばせ、学を修めて帰国するや、藩中の社職五百余人の惣司
とされた。

明治の初年、政府の一村一社の方針に従い八所の産土神を
合祀し今日に至る。

幾仰古館(桜井文庫)について

「桜井文庫は櫛田文庫(博多)、古門文庫(乾子)。
前国学の三拠点の一つとして、当社大宮司浦海保の時代に創
立された。
当時国学の第一人者青柳種信希の推挙により鞍手郡古門神
社の祀官伊藤常足育が赴任して教鞭をとり、神主の子弟や好
学の士など来り学ぶもの踵を接するありさまであった。同病
が太宰管內誌を編さんされ得たことは、この文庫の蔵書がい
かに豊富であり、かっ人材に恵まれていたかを伺い知ること
ができる。
きびす
現在は「与止妃宮縁起」二巻、「徒然草」の上下二巻と「仰古」
の額が残り、平成十年三月浦俊一氏より「用姫宮縁起」一巻
が奉納された。

櫻井神社   
〒819-1304 福岡県糸島市志摩桜井4227 
電話 : 092-327-0317

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